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北鎌倉台峯 緑の会について

台峯開発の動き

 台峯緑地はそのほとんどが丘陵ですが、戦後しばらくまでは近くの平場に住む地元の方々がそれぞれ愛着ある先祖伝来の土地を田畑にして耕作していたところでした。しかし、時代が変わる中で次第に休耕地が増えて来ます。他方、梶原山の宅地造成が一段落した不動産会社が次の開発の舞台にしようとしたのも、この台峯でした。首都圏に住宅の需要が大きかった頃です。
 1971年、この不動産会社は市宛に開発行為事前協議願いを提出、台峯の開発問題が浮上し始めたのでした。1989年になると、当時の市長は開発にあたっての「緑地保全を基調とした都市的整備(緑地率はおおむね50%)」を基本方針として表明、これを受けた形で1991年に不動産会社は戸数80の開発計画案を公表します。
 その後交替した新たな市長は1993年に従来の基本方針および開発計画を凍結、市民団体が緑地保全条例を求めて陳情した結果として1995年には市議会はこの陳情を受入れ方採択し、1996年に市は「緑の基本計画」を策定しました。
 けれども、不動産会社と地主約50名とによる開発計画が動き出し、神奈川県の認可を得て、1998年開発側による現地測量、調査が始まりました。開発が動きだしたのです。

当会の発足

 こうした開発の動きに対しては市民による反対の声が沸き上がり、同年11月なだ・いなださんを会長に、当会がとりあえず任意団体として発足するに至りました。
 精神科医にして作家のなださんは、1990年頃に東京から北鎌倉に居を移してこられたのですが、それより前に医師として久里浜の病院で働いていらした頃、入院患者さんを気晴らしのためによく北鎌倉にお連れになったそうです。 そうした経験から北鎌倉の景観の大切さを知っていたなださんは、反対運動の人たちから勧誘を受けて会長に祭り上げられた、と語っていますが、決してお飾りではなく、長年にわたり「山歩き」などに積極的に参加、会の運営では理事長や顧問などとして我々を指導下さるとともに、新聞、雑誌等で台峯の開発について反対意見を表されました。
 そして、先祖伝来の土地はできれば開発せずに残しておきたい、という地主の方々の心底の思いを知ったなださんのお考えによって、当会は世上よく行われる反対署名運動などはせず、別の道を探ることになりました。具体的には英国の例を参考に、未来に残すべき環境を①「買取りや契約により保全」し、②「維持管理」の上で③「公開」するナショナル・トラストの手法に拠ったのです。地主の方々にも安心してもらえるやり方でした。
 幸いにも多くの方々がこうした手法に賛同してくださいましたが、更にこれに付加・補強するような形で、ボランティアによりリサイクルショップを経営、寄付品を販売して得た収益をNPO団体などに寄付して下さるスキームを創ったのが、鎌倉の「みどりショップ」です。2015年の閉店までの間、当会は多額のご寄付を頂きました。 ところで、こうしたトラスト活動の会としては、何よりまず台峯を多くの方に実地に知ってもらわねばなりません。「山歩き」は当会発足と同時に実施し始めましたが、その結果1999年度末には会員数も600名を超えるまでに至りました。
 さて、この1999年には、開発側は基本構想案を明らかにしますが、計画戸数は6倍強の500に増、緑地率は42%に減、というものになっていました。この計画に対しては、その後開発側と市民団体を背にした市との間で双方懸命のやり取りが続きました。

市による保全決定と当会

 その結果、2004年ついに市から台峯緑地を三大緑地の一つとして保全する方針が発表され、開発事業は取りやめ、市は開発予定地を約10年かけて買い取り、公有地化することとなりました。開発断念の裏にはバブルが崩壊し、また不動産会社側にもそれなりの事情があったようですが、いずれにせよ台峯は開発から免れたのです。
 しかし、買取りによる公有地化を待つ間も、また公有地化したあとも、手をこまねいていては、緑地は荒れてヤブばかりとなったり、希少な動植物は絶えてしまったりして、里山の面影はなくなってしまいます。一旦なくなってしまえば、もう元には戻せません。田畑の耕作まではできなくても、緑地内の道を補修したり、田畑跡地で跋扈するササやカナムグラ、外来種のセイタカアワダチソウなどを除去したり、またカヤネズミなどの希少な動物の保護を図ったりせねばならないでしょう。当会は市との協働事業である「山の手入れ」として、2001年8月から今日まで毎月こうした作業を行っています。
 なお、当会がトラストとして大きな資産と多くの会員を擁して活動するには任意団体では困難が予想されたため、当初から特定非営利活動法人(NPO法人)化を目指していましたが、2001年5月にこれが実現して、正式名称も「特定非営利活動法人 北鎌倉の景観を後世に伝える基金」という長い名前となりました。こうして法人格を得ると、権利や義務の主体となりえますが、決算や理事会、総会の開催、市や県への報告等の義務を負うことにもなったのです。

当会トラスト機能の発揮

 2008年には、買取による公有地化の対象とはなっていなかった、台峯の隣地をテニスコートとして開発する計画が明らかになりました。ここが開発されると、三浦半島先までの「緑の回廊」が途絶えてしまいます。よって、これに対し当会は2009年5月に市あてに1,354万円を寄付、市もこうした動きを多として追加的に同地の買取を決定、同年に当会は市政功労者として表彰されもしました。寄付額は買取り資金のごく一部に相当するだけでしたが、当会は周辺を含めた台峯緑地の①「買取りや契約により保全」に寄与し、その後も②「維持管理」しつつ、やがて③「公開」に至る、というトラストとしての3つの機能を発揮することとなり、台峯は孤立した緑ではなく、大きな生態系の一部として守られたのです。

開園と当会

 台峯緑地の「公開」に向けては、市による「基本構想案」や「実施設計(案)」などの計画案に対して、当会は現地を良く知るものの立場で意見を陳述してまいりました。その結果、ある程度当会意見を聞き入れてくれる形で、2020年4月には「山崎・台峯緑地」の一部開園がなされ、また、その後の全面開園も視野に入るようになりました。
 「公開」が確実となったことから、2021年秋には、当会のトラストとしての役割は概ね果たされたものという認識に立ち、特定非営利活動法人(NPO法人)としては解散の上で身軽な任意団体に戻ることにしました。ただ、長年使い慣れた名称故に正式名称上の「基金」や略称上の「トラスト」は残し、「特定非営利活動法人」だけを看板から外した「北鎌倉の景観を後世に伝える基金」(略称「台峯トラスト」)の名の下に「山歩き」や「山の手入れ」などの「維持管理」活動に専念することとしたのです。なお、解散時の残余資産約279万円はこの度も市宛に寄付し、市長からは感謝状を頂いています。
 そして、2022年5月28日、ついに風致公園として「山崎・台峯緑地」の全面開園に至った次第です。開園式には当会から代表以下3名が出席し、市長からは長年の協力に対して感謝の言葉を掛けてもらいました。

これから

 多くの方に台峯を知っていただくための「山歩き」や、そこで親しんだ自然を守るための「山の手入れ」作業は毎月行ってまいる所存です。また、時に応じて「マツムシを聴く会」や「ホタルを観る会」も催します。
 しかし、ただ単に自然を「聴く」、「観る」を通して知るだけや、「作業でいい汗かいた」だけではなく、事前のレクチュア並びに実際の観察や作業を通じて、そこになぜ何が居るのか、それは守るべきか、無くなるべきか、そのためにはどうしたら良いか、更にその結果を見てなぜそうなったのだろうか、といった関連性などについても一緒に考えて頂くことが、里山である台峯の今後に繋がると考えております。「維持管理」に終りはありません。

当会の年表(特定非営利活動法人化後)

時期 出来事 説明
2001年5月1日 NPO法人認可  
2001年9月 2012年夏 基金のHP開設
改訂
表紙など変更。会報をPDF化して掲載
2002年1月23日 日仏映画人のメッセージを市長に手交 小津安二郎を知るフランス映画関係者とパリ市議会議員そして山田洋次監督が台峯の緑の保全を訴えたメッセージを石渡市長に手渡した。 同時に赤道の手入れについても要望を行なった。
2002年4月 みどり債発行の提案 台峯緑地保全の財源として「市民参加型かまくらみどり債」発行の促進を石渡市長に要望。 (鎌倉市は広町緑地の用地取得に「みどり債」発行を決定2003年12月)
2003年月~2005年5月 旧小泉邸マンション建設問題に対応 北鎌倉の旧小泉邸は樹木が鬱蒼と茂る広大な敷地(1200坪)に昭和初期に建設された洋館があり、北鎌倉を代表する景観を呈してきたが、マンション建設のため取り壊された。 当会としては北鎌倉を代表する景観に多大な影響を及ぼす建設に反対の意見表明を行う一方、慶應義塾大学等による小泉邸の実測調査の橋渡しを行った。
2004年 「作業道具置き場」設置 山ノ内配水池近くの土地を賃借し「山の手入れ」用資材保管のための物置を建てる。
2004年9月7日 韓国ウルサン放送の取材 韓国のトラスト活動の参考として取材を受けると同時に台峯を案内。
2004年9月26日 なだいなださんのメッセージ 朝日新聞に『いっしょに歩かないか』と題して 「ぼくは月に一度、鎌倉の「台」という緑地を、保護したい人たちと歩いている。いっしょに歩かないか。」という書き出しで始まる若い人たちに向けてのメッセージが載る。
2004年12月16日 台峯の保全発表 鎌倉市が台峯の保全を公表
2005年1日 知事・市長が台峯を歩く 松沢神奈川県知事が「移動知事室」の一環として台峯を視察、石渡鎌倉市長も同行。将来、県の補助金投入の可能性から現地を見ることになった。当会が現地の案内役をつとめた。
2007年 高校生ボランティアの台峯来訪 台峯の手入れ活動に高校生ボランティアを受け入れ、山道のササ刈り、畑の草取りや土手の草刈など体験してもらった。 
そのときの様子
2005年5月~2016年 台峯保全連絡会発足 台峯保全連絡会が、台峯保全に係ってきた諸グループが今後の緑地保全のあり方について話し合う場として設けられた。 行政との窓口としての位置づけもある。
2006年4月 台峯保全連絡会が意見書 台峯「基本構想案」について連絡会として意見書を提出。
2007年5月 北鎌倉の景観に関しての意見書 意見書を鎌倉市に提出
2007年10月 北鎌倉の景観に関しての発言 理事2人が公述人として意見を述べる
2009年5月13日 市宛に寄付 山ノ内西瓜ガ谷緑地の保全のために鎌倉市長に基金1,354万円を手渡した。
2009年9月 緑の基本計画に対し意見書提出  
2009年11月 市制功労者として表彰 2009年5月13日の寄付につき、市から市政功労者として表彰される。
2012年2月 藤源治緑地の保全につき意見陳述 市建設常任委員会で陳述人として久保理事が意見を述べる。
2012年~2013年 都市計画道路につき意見書提出 都市計画道路「由比ガ浜―関谷線」に対し廃止を要請。
詳細は都市計画道路意見書参照
2013年6月6日 初代会長なだ いなだ さん逝去  
2014年7月 市が実施設計(案)発表 鎌倉市の(仮称)山崎・台峯緑地実施設計(案)が発表になった。同案に対し、当会では鎌倉市へ意見書を提出した。意見書参照。 その後の2016年4月には 、台峯実施計画につき基金として「谷戸の池」関係意見書提出。
2013年10月~2015年9月 由比ガ浜関谷線につき反対意見陳述 鎌倉市都市マスタープラン評価検討協議会 委員として参加し、都市計画 道路由比ガ浜関谷線につき反対の立場で意見述べる。
2015年~ 北鎌倉駅脇のトンネル保存運動等に参加 現在も継続 。
2015年8月9日 「なだいなだとフランス展」 軽井沢高原文庫での同展の開催に協力、また出口理事長が出席。
2016年12月  都市計画道路 由比ヶ浜関谷線を歩く 都市計画道路地図を入手のうえ、B区間を理事全員で歩いて実査。
2017年1月 谷戸の池堤防工事に基金のプランが取り入れられる。 谷戸の池堤防改修工事に関し、環境を配慮した基金のプランが取り入れられる。 浚渫工事に関し公園課と協議し生態系への配慮を実現した。
2020年6月1日 「鎌倉朝日」に開園と当会紹介記事 朝日新聞の地域広報誌である「鎌倉朝日」の6月1日号に、台峯緑地一部開園と、台峯トラストの活動の模様が掲載された。
記事はこちらです。
2021年9月23日 当会の任意団体化 臨時総会にて、特定非営利活動法人としての当基金は解散、任意団体として再出発することとなった。
経緯については、こちらです。
2021年12月1日 「鎌倉朝日」に任意団体化の記事 「鎌倉朝日」の12月1日号に、当会がNPO法人から任意団体になる旨の記事が掲載された。
記事はこちらです。
2022年3月1日 「鎌倉朝日」に市宛寄付の記事 「鎌倉朝日」の3月1日号に、当会の精算手続きが完了し、残余資産2,789,007円を市に寄付した旨の記事が掲載された。
記事はこちらです。
2022年5月28日 「山崎・台峯緑地」開園式。 「山崎・台峯緑地」の開園式が行われる。 これに先立つ5月26日には東京新聞朝刊に開園に至る経緯の記事が掲載された。
開園式の模様と、東京新聞の記事はこちらです。
東京新聞ニュースサイト『東京新聞TOKYO Web』にも掲載されています。https://www.tokyo-np.co.jp/article/179578
2022年6月3日 「タウンニュース」に開園の記事 6月3日号「タウンニュース」に「山崎・台峯緑地」開園の記事が掲載された。
2023年11月19日 301回山歩き なだ・いなださんの10周忌および「山歩き」25周年を機とした山歩きを実施。なださんのお嬢さんはじめ約30名が参加。
2024年
6月13日
会名称変更 会の名称を「北鎌倉の景観を後世に伝える基金(略称:北鎌倉台峯トラスト)」から 「北鎌倉台峯 緑の会」に変更しました。

北鎌倉台峯 緑の会 事務局

照会先(山歩き関係)本田方 電話090-6502-2470
   (山の手入れ関係)出口方 電話090-1404-5611